神話についての考察

コラム

第7回

新皇平将門

今日は平将門の命日だったそうです。ただ旧暦だと思うので実際は違うのでしょう。

そこで今日は日本史でも教わる平将門についてふれようと思います。

日本史上最大の逆臣といわれる平将門が、なぜ神として祀られているのだろうか。将門は上総介として東国に下った高望王の孫といわれ、父は鎮守府将軍、平良将で、下総(千葉県北部から茨城県南部のあたり)の有力豪族であった。早くに父を亡くした将門は、摂関家である藤原氏に仕えたが、伯父に領土を奪われたことに怒り、常陸の国司を攻め、国衙に放火をする。下野、上野も占領し、新皇を自称し、関東に君臨した。翌年、伯父の子貞盛と下野の押領使である藤原秀郷との連合軍と戦うが、馬上にて額に矢を受け戦死した。これを天慶の乱または平将門の乱という。その後、将門の首は京に送られ、獄門に晒されたが、そのまま飛んで体のある江戸に帰ったという。その場所は大手町に首塚として残っており、取り除こうとすると祟りがあるという。また、空を飛んで江戸に向かう首を。南宮神社の隼人が射落としたともいわれ、その首を埋めたのが、岐阜県の御首神社である。

さて、昔は皇族またはその時代に業績を残した重要人物を死後、神に叙することがあった。日光の東照大権現は徳川家康のことだし、豊臣秀吉は豊国大明神と諡名されている。天満宮は天満天神である菅原道真を祭ったものである。

さてここでなんで逆臣である平将門が神になったのか。そこには東国の中央に対する反骨精神に起因する。昔の日本の中心はいうまでもなく大阪、奈良、京都であった。中央の人々には、今の東京の人が思うように地方の人を田舎ものとしか思わない。田舎ものは遠い世界の支配者のことを快く思わない。そこに、関東を独立させるべく一人の武将が起った。関東の人間にはヒーローだったはずだ。そこに民間信仰が始まった。さて中央はカリスマを持った指導者は殺したが、祟りを畏れ、関東での民間信仰は黙認した。時代は移り、江戸に幕府ができた。日本の首都が関東にできたのである。もともと土地の者ではない徳川氏がこれを利用しないわけはない。かくして二代将軍秀忠の時に将門を祭る神田明神は江戸総鎮守とし、首都の守り神とした。

今でも天皇家は神道の家柄で、祭事のほとんどすべてが神道の式とりにのっとって行われる。神の国といわれるほど神様の多い日本では、政治にも神道が取り入れられ、祈祷やらがまかり通っていたのである。祟りというものもおおいに信じられていたのである。そこにウソか本当か、将門の首が飛んでいったという噂が立てば、すぐに祈祷して国を安んじなければ祟りが起こるというものである。このように、常に信仰して、崇めておかないと、災いを成す神のことを祟り神といい、天満天神、将門神などは祟り神である。

第6回

緊急企画

恐怖の大王って何?

恐怖の大王ってなんだろう?恐怖って言うくらいだからすごく怖いんだろうなぁ。大王って言うくらいだから偉そうなんだろう。で、評論家の方々は「大地震である」とか、「異星人である」とか「核ミサイルのことだ」とかいわれているが、まあ人間にとって怖いことなんてそんなもんなんだろうなぁと思う程度のことしかいってない。一応人類が滅亡するくらいの出来事が起こるらしいので、起こるんだったらもっと派手なことが起こってほしいもんだ。思いつくケースでどれが一番怖いかを考えてみる。

@大地震の場合。この場合、世界規模で同時多発的に大地震が起きなければならない。でも地震では確かに建造物などに被害は起きるがみんな死んでしまうと言うことはないだろう。

A異星人の襲来。異星人がいることは否定はしないが、一人で攻めてくるわけではないのでその場合「恐怖の大王たち」(なんか弱そうになった)と書くべき。それに侵略というのは彼我にかなりの戦力差がなければならず、その後の統治にはさらに多くのエネルギーが必要になる。しかしこの場合は文明はなくなるので滅亡といってもいいかな。

B核戦争。核戦争は起きればそりゃあ大変なことだが、なかなかボタンは押せないし、放射能で突然変異してすんごい人間ができたりしたらそれはそれですごいかも。それに核ミサイルの向いている方向は全世界でゃないと思うので、それぞれの国の仮想敵国にしか落ちないのでは。

C巨大隕石の衝突。もしこんなものが今年中にあるのならそれはもう発表されているのでは?情報操作なんて限界があるし、一般人のなかにもそれぐらい計算できる人がいそうなもんだ。

D独裁者あらわる。世界征服が今年中にできるほどの才覚のある人間がいるのならそいつは人類史上最高の天才であり、カリスマを持っているといえる。ただ人間が統治するのならそれは滅亡ではないだろう。独裁者の寿命なんて短いものだし。

 以上今最も多い説だと思われることについてのおいらの見解。ほんとになんなんだろう。早く知りたい(笑)。

第5回
休憩
ここ何回かインド神話について書いてますが、別にインド神話最高って訳ではなく、たまたま目に付くところに資料があっただけなんです。他の国の神話も大好きで、そもそも神話を読むようになったのもあるゲームがきっかけでした。そこで読みあさる内に気づいたのが、キリスト教国の近隣の神話の本は非常に少ない。あるのは定番のギリシア・ローマ神話、北欧神話、ケルト民話、エジプト神話などで、シリアなどのキリスト教発生前の土着の神話の本が圧倒的に少ない。キリスト教ではほとんど全て悪魔(堕天使)にされてしまったこれらの神々には、非常に興味深くおもしろい神様が多い。なんでキリスト教は土着の神々を全て悪魔としてしまったのだろうか?ヒンドゥー教や神道などは征服者が持ち込んだ宗教なのだが、征服者の原理として征服した土地の民を落ち着かせるためには土着の神々を取り込む形が一般的である。キリスト教は征服者の宗教ではなく、日本における仏教のような広がり方をしたことが一つ、権力者によって都合の良い宗教だったのが一つ、とこうした理由があげられると思う。ただ一神教が陥りやすい欠点が強調されて、権力者に利用されたことが残念である。キリスト教も神話として読むならおもしろいんだけどなぁ。これだけ人間中心のものはほかにないから。
第4回
アンゴルモアの大王?
今年は人類が滅亡するそうで電波少年ではシェルターなんか作っている。というのも世紀末(本当は来年)で、しかも千の桁の数字が変わる年(ミレニアムとかなんとかいうらしい)なので終末思想が大流行。「予言者たるもの世界の終わりについて一言いわなきゃ」というお約束でもあるかのように終末予言がはびこっている。人間というものは、始まりと終わりのないものに出会ったことがないので、はじまっちまったものは終わらないと気分が悪いらしい。で、最も有名と思われるものは、みなさんご承知のノストラダムスの4行詩。今年の七の月(いつだ?)に空からアンゴルモアの大王が来るそうだ。でこの人の予言は数カ国語の言語とアナグラムを駆使して書いた本人しか理解できないようになっている。これって予言なのか?。だいたい今当たったと思われているものは全て後世の評論家なる人たちが、たぶんこれのことについて書いてあるのかなという程度の判断で的中したことになっている。おいらとしては、ノストラダムスの4行詩を明確にわかりやすく解説してもらったことがないのでこう思わざるを得ない。だいいち予言というものの答えは一つでなくてはならないだろう。評論家ごとに解釈が違うのであればそれは答えではないと思う。実際に起こってみれば分かるのだが、起こった後に「こうだったでしょ」といわれても、クイズの答えを聞いた後に「やっぱりそうだと思った」といっている人みたいでなんかヤダ。
第3回
神話のできかた
神話というのは世界で最も良くできた物語である。概して人間は知識欲が恐ろしく高く、知識の範囲が狭い。だから知らないものがあるのが許せないので、知っている範囲で何とか説明しようとする。要するに知ったかぶりの生き物なのだ。そこで、人間が知らないものを説明するときによく使ってしまうのが、神様、霊、宇宙人などで、実際あるのかないのかあやふやなものをあると仮定した上で説明する。そしてそれが絶対間違っていても簡単には認めない。それと同時に人間は常に未知のものへの期待や畏れをもっている。ゆえに、様々な事象を説明するのに神様が用いられてきたわけである。ただ事象の説明に使われてきたものは擬人化され性格を持ち、物語の主人公となっていった。人間たちは非常に階級を重んじるので、神様にも階級があり、おおむね人間より階級は上となっているが、やはり人間に理解できない力をもつと言うことからであると思われる。ここでモンスターと違うのは、モンスターはほぼ理性を持っていない獣を表したもので、力はあっても知能が低いため人間よりは物語上格下となる。悪魔は神様とほぼ同じ事象の破壊的側面を強調したもので、力は神様にほぼ拮抗する。物語的にライバルや敵役がいないと単調になってしまうため、善悪の二元的に話を進めた方が簡単なため作られたものでしょう。しかし、このままでは人間がとても弱く卑屈なものになってしまうので、英雄と呼ばれる人間を作り、神様に一泡ふかしたり、悪魔を倒したりさせます。英雄は皆完璧な人間として描かれますが、神話によっては普通の人間や、とても弱い生き物などに足下をすくわれて死ぬことも少なくありません。英雄は必ず人間として現れますが、神様の化身として現れる場合もあります。その場合はへまはしません。
第2回
神様の数
神様の数を数えるときには「柱」を使う。由来は詳しくはわからないが、諏訪大社の御柱祭や、イスラエルの神が炎の柱という表現をよく使われることなどにヒントがあると思う。で、宗教には「2種類しかない」というのがおいらの持論で、ひとつは自然に発生したと思われる神様の数がやたらと多い宗教。この場合善悪があいまいになってなんだかとっても人間くさい神様が出来上がっていく。もうひとつは神様が一人しかいない宗教。この場合明らかに人間が作ったと思われる親のような神様が出来上がる。だいたいが説教くさい。神様の数が多いのはおそらく(正確な統計は取っていません)日本の神道かインドのヒンズー教であろう。ヒンズー教なんか一柱の神様が変化とか言って増えたり、怒って目から新しい神様が出たりもう増えまくり。神道も垢から神様出て来たり、神様死んじゃったり、反逆者が神様になったりおおらかというかなんというか。仏教なんかほかの宗教からあからさまに神様もらってきちゃうもんなあ。それとは正反対にドライなのが一神教。神様一柱なのに悪魔がやたらといる。困った神様手下の「天使」を作って戦わせる。で、神様魅力が無いのか反逆して「堕天使」が出る。ここで階級社会のヨーロッパに浸透したのがキリスト教。この神様は神の前ではみんな平等といいながら、天使に9もの階級が存在する。平等じゃないのか?矛盾してるなあ。ここで注意。旧約聖書によると神様は一柱ではないようです。イスラエルの神は一柱なんですが、お隣もそのお隣にも神様がいて、イスラエルの神もちゃんと「○○の神」といっています。イシュタルやバールなどが悪魔にされたのはその後のようです。最後に、中国では神様は仙人より格下です。封神演義を呼んだ方は知ってると思いますが、人間のえらい人または仙人のだめなやつを人界と仙界の間につくった神界に行ってもらおうということでできたのが神様というものらしいです。ですので、関聖帝君は神様で、太上老君は仙人です。
第1回
商売
宗教それは商売だ。だいたい魂の救済だ、お布施だ、お賽銭だとお金を集めすぎる。魂を救うということにお金をはらうのでは、立派な商売である。「いや違う。感謝を表したもので代価ではない」というひともいるだろう。ここで例として仏教を考えてみる。仏教はだいたい人が死んでからお世話になるところであろう。生前はお坊さんから何をしてもらうでもない。しかしひとたび身内が死ねばお坊さん大活躍。葬式、法事と生き残った人たちからお金をいただいていく。葬式のときに戒名をいただくために聞いた話だけど高いので100万ぐらい払う。たかだか死んだ後の名前をつけてもらうのに100万円。その後、信心深い家は毎年命日になるたびお金を払う。なるほどベンツに乗るのもうなずける。税金払わなくていい(宗教活動に関して得た収入のみ)もんな。感謝を表したものならば、別にお金でなくてもいいはず。昔は米などで払っていたらしいが、感謝される側が感謝の代価を決めるのはおかしい。感謝というものの代価は、受けた人が表すものである。日本語には「感謝を表される」という言葉はない。要するに人間は、通貨を手に入れたときからすべてを通貨で表そうとしているのかもしれない。「地獄の沙汰も金次第」とはよく言ったものだ。
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